忠度の最期


『平家物語』巻第九「忠度最期」を全文現代語訳。

薩摩守忠度は、一の谷の西手の大将軍でいらっしゃったが、紺地の錦の直垂(ひたたれ)に黒糸おどしの鎧を着て、黒馬の太くたくましいのに、ゐかけ地(漆塗りの上に金粉をふりかけたもの)の鞍を置いて、お乗りになっていた。

その軍勢百騎ばかりのなかに取り囲まれて、あまり慌てず、ときどき馬をとめて戦いながら落ちていかれるのを、猪俣党(いのまたとう)の岡辺六野太忠純(おかべのろくやたただずみ)が目をつけ、馬に鞭打ちあぶみをあおり、追いつき申し上げ、「そもそもいかなる人でいらっしゃいるのですか、お名乗りください」と申し上げたので、「この隊は味方だぞ」と言って振り仰ぎなさったが、兜の中を覗きこむと、お歯黒で歯を黒く染めている。

味方にはお歯黒をしている人はいない。平家の公達でいらっしゃるにちがいないと思い、馬を押し並べてむんずと組んだ。これを見て、百騎ほどある兵たちは、諸国から徴収して兵としたものなので、一騎も残らず我先にと逃げ去った。

薩摩守は「憎い奴だな。味方だと言ったのだから、味方だと思えばよかったのだ」と言って、熊野育ちの大力の早業でいらっしゃったので、すぐさま刀を抜き、六野太を馬の上で二刀、馬から落ちたところで一刀、三刀まで突かれた。二刀は鎧の上で通らず、一刀は内兜へ突き入れられたけれども、薄手なので死ななかったのを取り押さえて、首を掻こうとなさっているところに、六野太の郎党がかけつけて、刀を抜き、薩摩守の右の腕を、肘のもとからふつと斬り落とす。

今が最期と思われたのだろうか、「少しの間、退いておれ。十念(南無阿弥陀仏と十遍唱えること)を唱える」と言って、六野太をつかんで弓の長さ(七尺五寸。約2.2m)ほど投げ捨てられた。その後、西に向かい、声高に十念を唱え、「光明遍照十方世界、念仏衆生攝取不捨(観無量寿経にある句。仏の光明はあまねく十方世界を照らし、念仏を唱える衆生を救い取ってお捨てにならないという意味)」と言い終わられるやいなや、六野太が後ろから寄って薩摩守の首を討った。

身分のよい大将軍を討ったと思ったけれども、名を誰とも知らなかったので、箙(えびら)に結びつけられたふみを解いてみると、「旅宿の花」という題で一首の歌を詠まれている。

行(ゆき)くれて木(こ)の下かげをやどとせば花やこよいひのあるじならまし

(訳)旅の道中、日が暮れて、桜の木の下を今夜の宿とするならば、桜の花が主人としてもてなしてくれるだろう。

「忠度」と書かれていたので初めて薩摩守とわかったのである。六野太は、薩摩守の首を太刀の先に貫き、高く差し上げ、大声を上げて、「日頃名高い平家の御方である薩摩守殿を、岡部六野太忠純が討ちたてまつったぞ」と名乗ったので、敵も味方もこれを聞いて、「ああ、お気の毒だ。武芸にも歌道にも達者でいらっしゃった人を。惜しむべき大将軍を」と言って、涙を流し袖を濡らさぬ人はなかった。

熊野育ちの平家の武人の命がここに散りました。

元記事は「平忠度の最期:熊野の説話」。