さゞなみや


『千載和歌集』に「詠み人知らず」として1首入集(巻第一 春歌上  66)。

故郷花といへる心をよみ侍りける よみ人しらず

さゞなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな

(訳)さざなみの寄せる志賀の都は荒れ果ててしまったが、長等山の桜だけは昔と同じように咲いていることだ。
「さざなみ」は「志賀」の枕詞。
「ながら」は地名の「長等」に「昔ながら」を懸けたもの。

都落ちの際、忠度は途中で引き返し、和歌の師である藤原俊成の屋敷へ赴き、自作の歌100首ほどを書きつけた巻物を俊成に託して、1首なりとも勅撰集に採用してほしいと願って立ち去り、その後、一の谷にて壮絶な戦死を遂げました。
俊成は忠度の願いを叶え、託された歌のなかから1首を『千載集』に採用しましたが、朝敵となった忠度の名を憚り、詠み人知らずとして掲載しました。

詳しくは「忠度の都落ち」で。

元記事は「平忠度:熊野の歌」。